まるちゃんがアラスカで出会った人物 ブリッタさん


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出会い

私がアメリカで始めて授業をとったときのクラスメート。
初日に教室の前でクラスが始まるのを待っているとき、「人類学のクラスはどこか教えて頂けますか?」("Could you please tell me where the Antholopology class is?")と、とても丁寧な英語で話しかけてくれた。

それは夏休みのクラスで、14〜15人の生徒のうち、外国人は私とブリッタさんの2人だけだった。

ブリッタさんは、ドイツ人で、教師になりたいそうだ。

運転

ブリッタさんの車の運転は、私よりも危なっかしく、フェアバンクスの「クッキージャー」(Cookie Jar)というレストランに連れて行ってくれたときは、おしゃべりに気を取られてふらふらしたり、左折して対向車線に入ったりした。

ミリタリーのコーヒーミーティングで、3ヶ月前にアラスカに来たコリアン(韓国人)のチャンさんに、英語のクラスを取るとよいと勧めたが、彼女は免許証をまだ持っていなかったので、ブリッタさんが送り迎えするはめに。

お家

夫のグレイクさんと2人で、ソフィーステーションの裏にあるアパートの2階に住んでいて、部屋の壁には風景画が10枚ほどかけられている。
タイ土産の象の置物や、小さな仏像も飾られていて、雑誌の中に出てきそうな部屋だ。
私は、釣り竿を持って腰を掛け魚釣りをしている猫の置物が気に入った。

旅行と写真

ブリッタさんもグレイクさんも、旅行と写真が好きで、家族写真に混じって、旅行先で撮ったくまや鯨の写真が額に入れられている。

鯨の写真は、プリンス・ウィリアムズ・サウンド(Prince Williams Sound)で撮ったものだ。
道路がないので、フライ・インといって飛行機で海まで行く方法を使い、ガイドつきで10人ほどのグループに混じってカヌーを操ったときのものだ。

カヌーに乗る前に、鯨は見ることができるのかと質問が出たが、ガイドさんは今まで一度も見たことがないということだった。
それでも、鯨はとても好奇心の旺盛な動物だから、近寄ってこられるとカヌーをひっくり返されるかもしれないので、もし鯨が出たら決して騒がないように、と注意があった。

さて、カヌーを漕ぎ出してみると、遠くに鯨がいるではないか。
しかも、だんだんこちらに近づいてくるのである。

カヌーよりも大きな背の隆起、ピカピカと黒光りする尻尾。
あれよあれよというまに、鯨はガイドさんのカヌーの真横までやってきた。
ガイドさんのあごがあんぐりと落ち、興奮しきったおばさんが、先ほどの注意もすっかり忘れて、けたたましく騒ぎ立てる。
全身を見せての跳躍こそなかったが、ゆっくりとあたりを泳いだ後、静かに去って行った。

ブリッタさんは、鯨が挨拶に来たのだと思っている。
グレイクさんは、鯨がもこりと海面に浮き上がってきたときにうまく写真に撮ることができた。

カナダ旅行をしたときは、ハイウェイ沿いにブラウンベアーが2匹現れたので、3メートルほどのところに車を停めて写真を撮った。

百武彗星がきたときは、彗星の写真は撮れなかったが、緑白色のまっすぐなオーロラをバックにしたブリッタさんの写真を撮ることができた。

バレエ

96年12月に、私たちがバレエ「ナットクラッカー」を見に行くと、ロビーでブリッタさんたちに会った。
私は上半身裸でアラビアのダンサーを演じていた男性がよかったと思う、と言うと、ブリッタさんは個人的には緑のチュチュを着ていたプリマがよかったが、ロシアのキーロフバレエから招待されていた男女バレリーナが素晴らしかったと言っていた。

引越し

97年2月か3月、夫グレイクさんの仕事の関係で、ニューヨークかソルトレイクシティに引越しするかもしれないそうだ。
97年1月、ニューヨークに決定。
実際は、ニューヨークから3時間、ナイアガラの滝から2時間のところらしい。
引越しにはミリタリーの引越し手伝い人がパッキングを手伝いにきてくれる。
辞令が出てから、新しい仕事が始まるまで1ヶ月あるので、フェアバンクスから東南アラスカのヘインズまで車で行き、そこからフェリーでワシントンD.C.へ渡り、シアトルにあるドイツ人街へ立ち寄って、また車でニューヨークへ向かう。
途中、グレイクさんの故郷、サウスダコタへ寄るつもり。

私が親友の結婚式のために日本に帰る前に会おう、ということで、アラスカ・ロースティング・カンパニーでコーヒーを飲むことになる。
ブリッタさんはカフェラテにフレーバーをつけていた。
お別れの印に、和泉式部のハンカチをあげる。古いので、パッケージが汚れていたのを、クーピーで虹色に塗ってごまかす。11世紀ごろの貴族で、たくさん恋をした人だと説明すると、関心を示していた。

97年春学期は、サイコロジー、アンソロポロジー、エデュケイションなどのクラスをとるが、引越しするので、単位はとれないかもしれないらしい。

ドイツ

フェアバンクスには現在ドイツ人がおらず、ドイツ語を忘れかけている。たまに電話で話すが、変なドイツ語になるとか。
ドイツにいるとき英語を勉強したが、それはイギリス英語だったので、アメリカ英語は聞き取りにくい。
W を V と発音するのはドイツなまりなのだろうか。

おばあちゃんが2人いて、96年10月にドイツに帰国したとき、ファミリーマター(家族の事情)のためだ、といっていたのは、おばあちゃんが入院したからだったらしい。
もう2人とも80才過ぎたので、できる限り最低年に二回は顔を見せてあげたいそうだ。

ドイツのケーキは、アメリカの甘ったるくてネットリしているものと違って、日本のケーキに近く、種類も豊富だとか。
ロースティングカンパニーのケーキはパサパサで甘すぎると言って、テーブルに半分残していた。

プロポーズ

93年にブリッタさんがアラスカに3ヶ月来ていたときにグレイクさんを紹介され、恋に落ちた。
その後半年間一人でドイツにいたが、グレイクが訪ねてきた。
2人でベニスに行き、ゴンドラに乗っているときにプロポーズされたが、その日の夕方グレイクさんが急に弱って熱を出し、一週間寝込んだ末、休暇が終わったので彼はアラスカに帰った。
以前にいたタイランドかどこかで病気をもらったのでは、と思う。
95年3月結婚し、二人でアラスカへ。


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