◆アラスカ民俗学のエレノア先生◆
始めてアメリカで受講したのは、アラスカ大学のアンソロポロジー(人類学、民俗学 Anthropology) で、アラスカのネイティブ・ピープル(先住民族)についての講義だった。
英語が満足に聞き取れないのに、英会話のクラスを取らずにいきなり大学2年生レベルのクラスを選んだ理由は。
アラスカのネイティブのことを知りたかったから。
始めて渡米してから5ヵ月がたっていた。
第1回目の授業が始まる直前、私は教室に入ってきた先生をつかまえた。
英語があまり聞き取れないこと、授業についていけるか心配なこと、聴講生として登録したこと、テストは受けたくないこと・・・つっかえつっかえ話す私に、わからなかったらいつでも尋ねなさい、とのこと。それでも不安はあるが、私の言ったことはわかってくれたらしい。
クラスは20人くらいの生徒が取っていて、私のほかには英語が母国語でないのはドイツ人の女性が一人だけ。
授業は1万年前の氷河期時代のアラスカから始まり、各部族の特徴を、ビデオや、分布地図、何冊もの本、エピソードが書かれたプリントを使って進められる。生徒はあらかじめ本やプリントを予習しておく前提なのだが、私には量が多すぎてあっというまに取り残されてしまう。わからないままに先生の板書を書き取り、テストも腕試しで受けてみたり、大学内の博物館を取材したレポートを提出したり。
成績は関係ないので、テストは受けなくてよかったのだけど、やってみた。選択問題と筆記問題。
やっぱりわかってないことがわかったけど、先生はちゃんと添削してくれて、コメントまで書いてくれてある。
「まるちゃん、よくがんばってるね。どうして単位を取らないの?あなたならきっと出来るよ!あきらめないで。」と。
先生は、アラスカの西の方、シベリア海に浮かぶ小さな寒い島で研究をしてこられたらしい。
長い牙を持つセイウチの皮を使って、ボートを作るという文化を持つ人々の島。
荒れた海、痛い風、海鳥。
人々は生きる。
それを記録した先生。
つらい仕事だったろう。
夏のクラスが終わりしばらく経って、先生が入院していると聞いた。内臓を悪くしているらしい。そういえば、はれぼったい顔でしんどそうに話す人だと思っていた。あれは体調が悪かったのか。
それからしばらくして、先生が亡くなったと知った。
私生活のことは何も知らない。授業以外で話しをしたこともなかった。それでも、折々にふと思い出すアラスカの文化、民族衣装、極寒の地での生き方、文化を伝えて残すためにしなければならないこと。
それを教えてくれた人が、エレノア先生だった。
ご冥福をお祈りします。
(2001年6月30日作成)