まるちゃんと赤ちゃん
妊娠日記(退院)
メインメニューへまる赤もくじへ

赤ちゃんおやすみ・・・・

と言ったと思ったら、起こされた。看護婦さんが連れて行ったはずの赤ちゃんがそこにいて、授乳の時間なんだって。4時間ぐらい経っている。
まだ一人でちゃんと吸わせられなくて、看護婦さんに赤ちゃんの頭をあちこちグリグリ動かしてもらって授乳する。終わったら、また赤ちゃんは新生児室へ。
私たちは寝る。

出産翌日。

一日中赤ちゃんと一緒に過ごす。
赤ちゃんはワゴン台の上で四角いガラスの皿のようなところに寝ていて、手足に名札がついている。
別の部屋から大きな赤ちゃんの泣き声が頻繁に聞こえるけど、まるちゃんの赤ちゃんは「ヒイイ・・・ヒイイ・・・」と、か細い声を出すだけ。
部屋についているテレビで、赤ちゃんの世話の仕方などのビデオを見たりする。
ウンチは黒いやつを頻繁にするし、げ〜ってよく吐くし、そのたびに夫に「オシメ」「吐いた」とかいって処理してもらう。

おしっこに立つのが一苦労。流すなと言われていて、便器に血がたくさん残っているのがよく見える。紙で拭くかわりに、化粧水の容器のようなものにお湯を入れてそれで洗い流す。
診察の時に看護婦さんが下腹をギューギュー押すと、血がドバドバ吹き出す。
体が上手く動かないので、ベッドから降りてトイレに行くのにも旦那につきそってもらう。室内にあるのに。

縫われたところはガタガタになっている感触。
きくのが恐くて何針縫われたかは遂にわからないままだけど、3個所破れて、うち一個所はおしりのそばまで裂けていて、内側まで縫われているのだそうな。ひええええ・・・。こわくて見ることもできないけど、おしりを触った感じは梅干しが3つくっついているような。ウィッチヘーゼルとかタックスとか呼ぶビチョビチョの餃子の皮のようなものをおしりにつけて、オシメのようなナプキンもつけてからパンツをはく。
「モートリン」という痛み止めの錠剤を4時間ごとに飲んでいたので、痛みは感じない。が、要求しないと薬をくれない。

夕方、初めての、唯一の、お見舞い客が来てくれた。
ベビーシャワーを主催してくれたオフェリア&トーリー夫妻。
花とクマのぬいぐるみをプレゼントされる。このクマちゃんとは、毎月赤ちゃんと一緒に写真を撮って、成長の目安にすることに。
ちょうど授乳中だったのでオフェリアさんだけが部屋に残り、トーリーさんは廊下で夫と待つことに。でも、赤ちゃんはいつまでも吸い付いたままでなかなか終わらないので、どうせ赤ちゃんの頭でかくれて見えないからいいか、と全員はいってもらう。
手を洗ったオフェリアさんは赤ちゃんを抱っこ。赤ちゃんは目を閉じたままじっとしている。
それを見ながらとてもうれしい気持ちでいっぱいだった。

翌日。

今日は退院の日。
アメリカは保険の関係で出産後48時間で帰宅するのだ。

朝からアンケートのようなものを渡され、質問したいことをあらかじめ記入する。
出産証明書などの書類もそろえてもらうが、出産時刻が間違っていたり、住所がスペルミスしていたりして、やりなおしてもらう。

午後から、看護婦さんが来て、私が渡したアンケートにしたがって、赤ちゃんの世話の仕方や小児科のことなど、ざざざ〜っと流れるような英語で説明してくれる。
圧倒されるばかりで何も頭に入らず。もう退院?まじ?って感じ。
どうやら出産ラッシュに重なってしまい、病室が満員で付き添い人用ラウンジで陣痛中の妊婦さんが待っているらしい。早く部屋を空けたいとのこと。
荷物はほとんどないので、書類ができて、赤ちゃんの記念撮影なども終わり、夕方6時に退院のはずが3時に部屋を出されてしまう。

が、実は書類がそろっていないことがわかり、痛み止めの薬ももらっていないし、廊下で待つことに。
私は筋肉痛なのかなんなのか、ちゃんと立つこともできないので、見かねた看護婦さんが車椅子を貸してくれる。初めて乗る車椅子、らっくちーん!スイスイ動いて、乗り心地は最高。駐車場まで車椅子で行く。
でも、こんな状態で今夜から大丈夫なんだろうか。

かねてから用意してあったカーシートと、退院用に買った服。どちらもブカブカ。
カーブやデコボコを通るたび、赤ちゃんが骨折でもしないか、泣かないか、と冷や冷や。
40分ほどの帰路は一度も起きずにいてくれて、無事に帰宅。
ほっとした。

ようこそ、赤ちゃん!




帰宅してから、痛み止めの薬をもらい忘れたのに気づく。
これは大失敗だった。夜から頭、肩、縫い傷、おしり、などなど体中の痛みに苦しむことになる・・・。

(2001年5月20日作成)


メインメニューへまる赤もくじへ退院直後へ